高麗郡建郡1300年創窯

                 高麗郡焼窯元 吉志窯 吉志道成 (岸道生)

 今から遡ること1300年の昔、この地域が未開の原野だった頃、駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野、七国の

1799人 を武藏国に遷し高麗郡が置かれ渡来人がこの郡長になった。この郡長にこそが高麗若光である。高麗若光

は西暦665年に高句麗滅亡直前に高句麗の使節として渡来、滅亡後大和朝廷に使え703年に従五位下の位と「王

(こしき)」の姓(かばね)を授けられる。高麗郡は霊亀2年(716年)「現日高市、飯能市、そして坂戸市川越市、入間市

の一部かかる」から明治29年の廃止までの1180年間置かれた郡である。この草創期、日和田山裾野の高麗郡高岡

の地に須恵器、瓦窯跡群(県指定)がある。この窯跡は承和12年(945年)に武蔵国分寺七重塔の再建に伴う造瓦窯

で須恵器と併窯した窯である。この窯跡付近より出た陶土を1200年の眠りから覚まし、この土を使った焼物を高麗神社

宮司60代 高麗文康氏のご指導により「高麗郡焼」と称す。

  高句麗人開拓の実績

 女影廃寺・・・高麗郡の官寺。

高岡廃寺・・・高句麗僧勝楽発眼による。

 高句麗人の高い精神性と技術力、大和朝廷の支援によって成る。

  高麗神社の由来

高麗氏系図巻頭より/若光卒す(卒年不詳)

「之により、従い来る貴賦相集い、屍を城外に埋め神国の例に依り、霊廟を後ろの山に建て高麗明神と崇め、郡中凶

ある時すなわちこれに祈るなり。長子家重世を継ぐなり」

 

 

                     高麗神社の将軍標

                                                                                 吉志窯の将軍標 

 

  吉志窯で造って高麗神社へ収めた将軍標。この将軍標は高麗神社宮司 高麗文康氏より窯  で   の販売が認められました。(価格/木箱入・・・10,800円)

 

                                                                   将軍標

                                     3240円

 

                                    3240円

 

                       高麗郡建郡1300年祭 

                高麗神社 60代 宮司 高麗文康氏 挨拶

高麗郡建郡1300年祭
60代宮司 高麗文康氏挨拶高麗郡建郡1300年祭 60代宮司 高麗文康氏挨拶

 

 

 

 壬生吉志士族と国分寺瓦・須恵器の生産

南比企窯跡群と壬生吉志集団

七世紀から八世紀にかけて、奈良・平安時代に、武藏国では、須恵器と国分寺瓦の生産拠点として、4つの古代窯群

が発見されている。このうち。南比企窯跡は最大規模を誇っているが、この生産を支配したのが渡来人集団・壬生吉志

福正ではなかったかと考えられる。登り窯を使った須恵器生産の技術は朝鮮半島から渡来したもので、その技術と生産

の仕組みは北武蔵に移住した壬生吉志集団が一手に支配していたと思われる。

 日高市高岡の須恵器、瓦窯跡群(県指定)の遺物

   国分寺瓦

 

       

           須恵器鉢                                      須恵器鉢

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